昭和40年04月19日 夜の御理解



 天地に繋がる道がある。天地に道あり、である。道があるから、よろずの事が一切整うて行くのである。その道を間違えるところに難儀がある。道を間違えるところに不成就があるわけです。これは例えば、満州北支、私共北京におりましたから、あの満鉄の朝鮮から、満州に入りますと、行けども行けどもただ、見わたす限りの満州のいわゆる荒野なのです。森一つ見えない。
 もうとにかくそん色んな所通らせて頂きますともう本当に真っ暗の中をただ汽車が走っておるだけ。言わばあの当時、北京、それからまぁ北京からもちろん(だいろうちょう?)がこう続いておりましたけれども、まぁ北京へ北京へとその汽車が進んで行く。その進んで行くその道、(そげなのがね?)もう本当に大体どこに行くのであろうかと思われるくらいに、だたもう闇一筋である、例えば昼通りましてもただどこまで走っても走っても、ただ荒野ばかりなのである。
 もうそれこそ、何時間も何時間も走って漸くぽつんと小さい駅がある。駅があるからには、そこから乗ったり降りたりする人があるのであり、やはりどこにかそのもう民家もありゃその農家もある。その証拠に広い広いその、やはり何か東瓜が植えてあったり、何かがしてある。私共その道を辿らせてさえ頂いとればいいのである。ね、闇を走るような、その汽車が走るような時もあるかもしれん。
 行けども行けども、本当のこりゃ行く所行き着くだろうかと思うように、ただ広い荒野だけだというような事があるかもしれん。けれども道があるからには、やはり誰かがその道を作っておるのであり、言わばその目的の、ここが北京なら北京にこの道をさえ、辿ってさえ行けば北京に行けるなら北京に行けるという、誰かが実証しておるのであるから、到達する事ができる。
 そこに私共が迷うても疑うても、へこたれてもならないという事。ただ問題は、天地に通う、言わば道を行じておるか、いないかという事である。止まっておれば、目的に到達する事は出来ません。ね、天地に道あり。『この方の事を生神生神というけれども、この方ばかりが生神ではない、皆もこのようなおかげが受けられる』という実証者、それが教祖の神である。
 ですから、教祖の神様が教えて下さったことを違わぬように、それはその道を辿らせて頂く所にです、生神への道が開けるのでありその道を辿らせて頂く時にです、ただ様々な駅があったり、または暗闇があったり、またはその、荒野ただ道はあるけれども、さぁ行き着くところに行き着くだろうか、と言うようなことにもあるけれども、そこをただ一筋に神様を信じて、その道を辿らせて頂くということだけなんです。
 だからその道を辿らなければ、だから到達出来ない。…事が分かるでしょう。どうしておかげが受けられんだろうか?どうしておかげが受けられんだろうか、と言うて同道周りをしておったんでは何時までたっても、やはりそこへ到達する事は出来ません。そこに言わば私共が生神になれるところの道っと言うか、おかげの頂けれる道を教祖の神様ご自身がご体験の上からです。
 ここまでは誰でもがおかげを受けられると実証して下さったのです。今日私、皆さんもご承知のように、桜井先生が見えとりました。大変な難儀なところを通っておられるんです。けれども段々おかげを頂きましてからその、誤解が誤解を生んでおったのが、その誤解が解け出した、事実があった事。それでまぁ椛目にいや、相談のようにして見えたわけですから、私は善導寺の親先生にこの事をお届けさせて頂いた。
 今日私、その桜井先生と同道で親教会に参らせて頂きました。そしてまぁ桜井先生を前にして、とにかく桜井先生が一番初めから椛目に見えられて、どういうような事で椛目との関係が出来たか、どういうような事で、もう教師まで断念してしもうておられた、信者を止めておられた、桜井先生がお道の信心にまた復活されたか。まぁそれこそ教師の資格でも、お、放ってでも椛目の信心を頂きたいというような。
 まぁどういうようなところから、ああいう風に言われたのか、その、捨てられた教師のことも、またおかげを頂いてから、親教会でそれだけ、例えば握る、握る、握り潰してあった、握り潰してあったということは、その出す所に出してはなかったと。それを段々桜井先生からするところの誤解。椛目に対する所の誤解が解けてきたからだと。そこで、ここんところをもう本当に、私が一人で申し上げても、私が作り飾りを云いよるようにあってはいけんから、とにかく桜井先生が立ち行かれるように。
 親教会が立ち行かれるように。同時に私も立ち行くように。私その事をこんこんと桜井先生を前にして、その事実を親先生に聞いて頂いた。まぁ例えと、親先生申しますならば、ね、古賀先生が椛目におかげを頂かれて2年間。親子の者が、ここで信心の稽古をされてから親教会に帰られた。今度、春の大御礼には、親子で、え、こちらにお礼参拝があっておりましたが、泊まりがけで来とりました。ね、
 こちらへ来る時に、大久保先生がです、いわゆる椛目の大坪先生にどうぞよろしゅう。と言うて、え、お初穂まで託けられて、あの人達が一晩泊まって帰る時には、私もまた、んならこれはあっちの親先生にっと言うて、お土産の一つも託けて、親先生によろしゅうというて帰らせて頂いた。私その時にです、その雰囲気をです、ね、全教一家とか全教一心とか言われるこういう事に一心していかねばならんのじゃなかろうかと、こういう風にして一家になっていかなければいけんのじゃなかろうかと。
 なるほど甘木関係福岡関係言うならば、私共とは関係の違った道程手続きの上には違った、その飯塚ですらこげんであると言う事。そこには飯塚の親先生も喜んで下さりゃ、古賀親子も助かりゃまた椛目も認められて来る、おかげが頂けておるという事。こう言う様なおかげを頂きこういう雰囲気の中にです、桜井先生と福岡教会がね、一切の誤解を水に流しておかげを頂かれる事になれば、どちらが詫びると言う事もなかね、
 分かる事が分かればそこに、言わばそこから椛目に対するところの誤解を解ける。椛目と福岡といや、言うなら孫のまた子という曾孫のようなことに当るのだけれども、椛目にもし御比例を頂けれるというならば、椛目の御比例はそのまま福岡の御比例に繋がるように。そこに、私には親教会である善導寺の奥様と、お、福岡の教会というのは、奥様の里というような特別な関係もあることだから。
 どうでもここんところの誤解を誤解としてです、本当のあり方にならせて頂くために、親先生桜井先生の事どうぞよろしゅうお願いします、と言うて今私が申しましたら、大坪さんあんたが言う通りてそれが本当の全教一家じゃんの、と今日は言うて下さった。もうそこ辺のその具合というのは何とも言えん程に有り難かった。ね、それが丁度大坪さんもうとにかく忙しゅうてこの頃一時見らんとに、今日家内と2人でです、久留米の教会の御大祭が間近になったから。
 御大祭のお届けに夫婦で今から行こうち言いよるところじゃった。家内はそれとお土産に、少し(妻?)取りいっとるとこじゃけんもう帰って来るけんで、今桜井先生あんたどん夫婦が同道して福岡に行こうということにまでなった。そして、私は今度の土地の問題のことについてから、またその合い間合い間その事を話させて頂いた。ね、地鎮祭しなければ泥は動かす事出来んとか。もう様々な難しゅう問題があったけれども、その事のおかげを頂いておりましたらです。ね、
 土も動かして良かろう、地鎮祭は後からで良かろう。家も建てるなら建てて良かろう。ね、と言うような、事にまで話が進展して来た。どうですか私が、言わば道を行じさせて頂き。ただどういう道かというと、ただ桜井先生が本当に助かってならなければならないという事。ね、福岡の教会も助かったて、誤解を解けなければならないという事。ただ桜井先生達一家が助かられて、桜井先生を中心にして。
 また多くの沢山の人が取次ぎ助けられていくようなおかげにもなってこなければならない、という思いをです私は今日の、私の、行動の中に、いわゆる言動の中に、言うことも行う事もそういうことに絞らせて頂いたら、ねそれこそそういう信心、それが道なのだと。目先、目先のことをです、これをどうする事が本当か。日頃信心頂いておるもんならこんな問題をどう消失することが信心かという、そういう道をです間違いなく辿って行けばこちらの道は自ずと開けてきよると言うことになる。
 丁度文男先生が丁度お昼済ましておりましたら、私をその歯医者に連れて行くというてわざわざ福岡からやってきてくれました。それでその常持の歯医者さんに連れて行ってくれましたから、ここまで来たけんで今度お土地の、あぁしてこそっと相談が出きるところをがあの感じがか、変わってしまったろう全部あそこ一画おかげを頂いたから。それでなら一遍見に行こうかねというて、2人で見に参りましたら、もうあれは何と言うてブルドーザーと言うですか、もうブルドーザー入ってどんどんやっとりました。
 そして私がどうせこの石浦の部落に言わば村入りもさせていた、頂く、頂きましたもんこの頃。ですからどういう部落か一遍見て、一回り見ていこうじゃんのっち言うてから、石浦をこう回って、そして、あの土地ところに参りましたら、久富組の車が、本当第一回のお土がこうやってあそこにかえされておるところであった。文男さんが、おかげ頂きました。これが先生第一回、土の運びごとですばいち。
 これはもう、これで地鎮祭したつも同じ事のと言うて私は、あそこで自動車の中から御祈念させて頂いて帰って来た。と言うようにです、道が開けてくるでしょう。その間のあいぞということは、本当に真っ苦労なとこを辿っておるようにあるけれども、その時そのことがです、ね、道を持って、ね、こうすることが信心だという道を行じさせて頂いておるところに、ある小さい駅にたどり着いたという感じがするでしょうが。
 まぁだんなら、その満鉄が無いなら、北京なら北京には着いてはいないけれども、ね、いくつか先の駅には、北京の駅であるという事がわ、分かることが出来るでしょう。そのことを私がお礼を、神様に申させて頂いておりましたら、大きな丁度あの、箱崎宮にある、海の方に、海を、背にしてから大きな鳥居があるでしょうが。ああいう大きな鳥居を頂くんです。それで上にあの、箱崎八幡宮というように、額が掛かっておるですね。ただあの額が掛かってないんですね、こりゃ金光教、合楽教会とかかるか。
 金光教神愛会とかかるか。まぁそれがまだ分からんという所じゃろうと私は思うたんですけれど。ですからこの鳥居が出来た。次には手洗い場があるだろう、狛犬が両方からこうやって、そのえすかもんのごつして両方にしておる所があるだろう。拍手打ってよりは神様の所へ、行くまでにはまぁ様々なまぁ難関もあるに違いはないけれども、まぁ鳥居の出来た所だけのおかげを頂き、ここまで道がついて来たということ。
 これからとても同じ事。天地に道ありであり。ね、その道というのは、教祖の神様の教えて下さったことを辿らせてもらい、それを行じさせて頂く以外にはない。ね、ただ迷うてはならない事は、道という言葉に迷うてはならないという事。ね、道というのはどこまでも、教祖の神様が教えて下さったこと、ご自分、実証なさった事。それを話に残しておって下さる、み教えを行じて行くという以外にはない。
 その道を辿らせて頂いてですね、目指す北京にというでしょうかね、目指すお広前御造営ということにです、おかげにになって行かなければならんとこう思うのです。椛目のことにもおかげになり、桜井先生達のこ桜井先生のことも親先生御夫妻のおかげでです、おそらく…。今日はあのさっきほど長男が参りましてから間もなし薬院にも電話かけられ、薬院の先生にもとにかく来てくれと言うて、電話をかけておられたから。
 恐らく話が円滑にスムーズに行くことだろうというて、さっき言うて参りました。ようにあれも立てばこれも立ち。おそらくお福岡の吉木先生も椛目に対するです、親先生もそれを言うておられましたが、ほんなこっちゃんの、そん飯塚の大久保先生のごたる風で、あやってならその桜井先生に言うておられますもん。桜井先生あんたも本当にいっちょ福岡に帰っておかげを頂いたならです、ね古賀先生のごたる風でまた椛目にでん、お礼に参拝が出来るように。
 しかも親教会了解の上に出来るような信心ができ、おかげを頂かなきゃならんていの言うておられます。そこに本当に全教一家の麗しさというものも出来、それを全教一家というのである、と言う風に私は感じるのですよね。ためにはまず、色んなその中心であるとこにある、私なら私がです、ね、道を行じて行かなければ、そういう道に到達する事は出来ん、そういう場に到達する事は出来ないということ。ね、そういう一つおかげを銘々の上にも、お広前の上にもあぁ、頂きたいもんですね。
   おかげを頂かねばなりません。